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紙を、めくれば。

めくれ。めくれ。めくれ。(紙)読後感想文です。

ダイヤモンドダスト

今回ご紹介するのは、南木佳士氏の『ダイヤモンドダスト』よ。南木佳士氏って、お医者さんなの。お医者さんの傍、文章も書いてるってわけよね。また、信州に住んでいらして、信州は、よく氏の作品の舞台になってることが多いわ。そろそろ、『信州の医療関係者サーガ』みたいな氏の作品群を総称した名前が生まれそうなところよね。

あとそうそう、南木佳士氏の作品は、よく大学受験の問題になってたり、予備校が作る模試の問題文としてお目にかかることが多かったわ。私の場合はね。まぁだから、出題者にファンが多い作品をよく書いた人って言うことも、できるかもしれないわね。実際、私が初めて氏の作品に出会ったのは、浪人時代に受けた模試の中の『タオルと銃弾』だったわ。今でも鮮明に覚えてるの。確か木陰で医療関係者が全員座り込むシーンがあるのよ、『タオルと銃弾』の中に。もう私たちにできることはないんだ、みたいにね、あれを読んだ時はもう解答どころじゃなかった。そんなことはもうどうでもよくなったのよ。そういう気にさせてくれる作品だったし、そういう作品を作ることに長けた人なのかもしれないわ。あるいは、それを見越して出題者は問題文に選んできてたのかもしれないわね。ただ、とにかく問題文を愛らしくずっと眺めてたの。

この「ダイヤモンドダスト」も、そんな南木佳士氏の、『信州の医療関係者サーガ』に該当する物語の一つで、何より、氏の代表作だわ。そんなに長い作品ではないから、ほんとに3時間もあれば、余裕で読めちゃうわね。私が氏の作品が好きなのは、氏の作品には、ちゃんと人間の匂いがするのよ。どの作品においてもね。本当に人間が好きじゃないと、氏のような作品は書かないと思うわ。

 

「女が頬にまとわりつく長めの髪を大きく首を振ってよけると、コートの上の落葉が数枚舞った」

 

「そのとき、彼女の左上腕の内側に長い手術跡を認めた和夫は、気づかれないように少しだけ視線を移して、唐松林の向うに圧倒的な迫力でそびえる火山の話を始めた。」 

 

女性の長い髪の毛が頬にまとわりついてる感じとか、またそれを振ってよける感じとか、ちょっと助兵衛な気もするけど、人に興味がないとちょっと書けないわ。最近の日本の小説家?は、あんまり対人関係に強くないだとか、あんまり人に興味がない人が多いのかもしれないわね。

 

作中にマイク・チャンドラーっていう、えっちな宣教師が出てくるの。間違いなく、この作品の鍵となる人で、私はこの人がすっごく好きなの。だからわざわざブログにしたのかもしれないわね。

主人公の和夫が看護師として働く病院に、このマイク・チャンドラー氏は入院してくるの。入院して間も無く言った言葉がこれよ。

 

「こんな姿になってしまって、もう夏のギャルをひっかけることもできないですよ」

 

私は是非あなたの永遠の夏のギャルになりたいわ。あとはこれね。

 

「戦争でミサイルを撃ったし、私の長小型ミサイルでよく女も撃ちました。でも、これで撃ち止めですね」

 

ちょっともう〜、マイク。もう少しその話、詳しく聞かせて?って、思わずにはいられない科白よね。で、そんなチャンドラー氏の病室に主人公の和夫さんのお父様が入院してくる、といったことが物語の中では起こるのよね。そして、そのお父様が退院してから、チャンドラー氏が死に近づいていくんだけど。夜中にナースコールが押されてね、マイクと和夫の二人のシーンがあるのよ。このシーンはもう是非とも読んでほしいわ。非常に巧妙で素敵なシーンが出来上がっているのよ(あんまりネタバレはしたくないから、これ以上言わないけど)。もうほんとに、騙されたと思って一回読んでみてほしいわ。

そして、水車が物語の最後辺りにでてくるのね。水車ってなかなか見ないからか、私はとっつきにくかったんだけど、この作品の中では、本当に情景が上手く浮かぶようになってるの。

 

なんだか美しいシーンを切り取って、集めて、貼っつけていったら、こうなった。みたいな作品かもしれないわね。それでいてストーリーが成り立っていて、きちんと最後、集約されているから、凄いわ。老若男女、誰が読んでも、どこか、しっくりくるような作品じゃないかしら。本を閉じた時に、ちょっと目を閉じてみたくなるような、そんな作品かもしれない。
誰にでもおすすめできる作品なのは間違いないわね。この春、なんとなく瞼が重いなと思ったら、是非手にとってみてほしい作品でした。以上。おしまい。

 

 

 

虚無虚無

「おっぱい」は好きなだけ吸うがいい

これは、故加島祥造氏の2014年に集英社から出版された新書なの。あぁ、Mr.Shozo...あなたはもう亡くなっているのね、、私ったらなんでこんな素敵な本に、もっと早く巡り会えなかったのかしら、、正確に言うと、巡り会えていたのにも関わらず、本棚の奥底にずっとしまっておいたんだわ。最悪よ。2017年にこの本を読んだって、もう遅いのよ。そのくらい、読み終わった後に、信州の伊那谷にある解放区(故加島祥造氏が、晩年を過ごした場所)に駆け込み、トウシューズを履いて、目の前で求愛ダンスを踊りたくなるような本だったわ。この本は序盤から見事にぶっ飛ばしてるのよ。序章のタイトル名、『大地の「おっぱい」を求めつづけた先だつのことを語ろう』からもそれはうかがえるわね。

登場人物、いや、登場山脈として、D・H・ロレンス、ウィリアム・フォークナー、マーク・トウェインウィリアム・ジェイムズラジニーシ幸田露伴が出てくるわ。それから個人的に出会ったノーブルな女性二人もね。この本は、物語でもないし、お堅い評論、もとい、教えに富んだ自己啓発本でもないわ。もちろん老子の詩も出てくるし、ロレンスの詩も出てくる、フォークナーのウィットに富んだ解説もあるわ。でもそれは外枠のヒダみたいなもので、これは「タオイスト加島祥造」という人物の、内側で起こっていた火花を描いたもの、あるいは、火花が起こるその瞬間を一つの塊に閉じ込めて、一冊の本に広げた。みたいな本なのよ。第1章のところで、Mr.Shozoはこんなことを述べているわ。

 

「自由な魂を押し通そうとすると、必ず火花が散るね。外側だけじゃなく、自分の内側にもね。社会のつくったものの見方は、いつのまにか自分を侵食して、そこから飛び出そうとする勇気を奪おうとするんだよ。」

 

これはロレンスについてMr.Shozoが語る章での一節なんだけど、私はこの本を読み終わった時に、心から感じたのよ。あぁ、あの一節は、彼自身のことだったのねって。そしてこの本の本当の主題でもあった気がするの。

 

それから、こんな一節もあったの

 

「そのときのことはよく覚えているんだ。昼間だけれど、ベッドの上に寝転がりながら読んでいたんだけどね、読み終わったとき、僕はその本を向こうの壁に投げつけたよ。とにかく、ものすごく不愉快になってね、怒りが収まらなかったよ。」

 

まるで、ホールデン・コールフィールドが言っているような科白だわ。これはMr.Shozoがヘミングウェイの書いた『アフリカの緑の丘』っていうエッセイを読んだときの経験談なんだけど。よっぽど気に入らなかったのよね。ヘミングウェイが。日本人がどうのって、話は別にしたくないんだけど、そういえばBook off で彼(ヘミングウェイ)の作品はよく見かけるわよね。それも108円のコーナーでよく見かけるわ。彼はBook offに行きがちな本をよく書いた作家なのかもしれないわね。私は原文で読んだことはないんだけど、『武器よさらば』って、あるわ、あれ。あれは読んだの。読み終わった後、大学の講義棟の三階から「武器よさらば」って言いながら中庭に放り投げたことはあったわね。私にとってはそれくらいの印象だわ。

 

余談が長くなってしまったけど、つまるところ、この本『「おっぱい」は好きなだけ吸うがいい』は決してエッチな本ではないわ。まぁよほど偏屈な人が読めばエッチ本としても通用するのかもしれないけど、ちょっとすけべなお爺様の、深く、長い谷を流れる、水の源泉、そしてそこに向かうまでの心の火花のお話だと思って。読んでいる間は決して、あなたを裏切らないわ。 以上。おしまい。

 

虚無虚無