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紙を、めくれば。

めくれ。めくれ。めくれ。(紙)読後感想文です。

「おっぱい」は好きなだけ吸うがいい

これは、故加島祥造氏の2014年に集英社から出版された新書なの。あぁ、Mr.Shozo...あなたはもう亡くなっているのね、、私ったらなんでこんな素敵な本に、もっと早く巡り会えなかったのかしら、、正確に言うと、巡り会えていたのにも関わらず、本棚の奥底にずっとしまっておいたんだわ。最悪よ。2017年にこの本を読んだって、もう遅いのよ。そのくらい、読み終わった後に、信州の伊那谷にある解放区(故加島祥造氏が、晩年を過ごした場所)に駆け込み、トウシューズを履いて、目の前で求愛ダンスを踊りたくなるような本だったわ。この本は序盤から見事にぶっ飛ばしてるのよ。序章のタイトル名、『大地の「おっぱい」を求めつづけた先だつのことを語ろう』からもそれはうかがえるわね。

登場人物、いや、登場山脈として、D・H・ロレンス、ウィリアム・フォークナー、マーク・トウェインウィリアム・ジェイムズラジニーシ幸田露伴が出てくるわ。それから個人的に出会ったノーブルな女性二人もね。この本は、物語でもないし、お堅い評論、もとい、教えに富んだ自己啓発本でもないわ。もちろん老子の詩も出てくるし、ロレンスの詩も出てくる、フォークナーのウィットに富んだ解説もあるわ。でもそれは外枠のヒダみたいなもので、これは「タオイスト加島祥造」という人物の、内側で起こっていた火花を描いたもの、あるいは、火花が起こるその瞬間を一つの塊に閉じ込めて、一冊の本に広げた。みたいな本なのよ。第1章のところで、Mr.Shozoはこんなことを述べているわ。

 

「自由な魂を押し通そうとすると、必ず火花が散るね。外側だけじゃなく、自分の内側にもね。社会のつくったものの見方は、いつのまにか自分を侵食して、そこから飛び出そうとする勇気を奪おうとするんだよ。」

 

これはロレンスについてMr.Shozoが語る章での一節なんだけど、私はこの本を読み終わった時に、心から感じたのよ。あぁ、あの一節は、彼自身のことだったのねって。そしてこの本の本当の主題でもあった気がするの。

 

それから、こんな一節もあったの

 

「そのときのことはよく覚えているんだ。昼間だけれど、ベッドの上に寝転がりながら読んでいたんだけどね、読み終わったとき、僕はその本を向こうの壁に投げつけたよ。とにかく、ものすごく不愉快になってね、怒りが収まらなかったよ。」

 

まるで、ホールデン・コールフィールドが言っているような科白だわ。これはMr.Shozoがヘミングウェイの書いた『アフリカの緑の丘』っていうエッセイを読んだときの経験談なんだけど。よっぽど気に入らなかったのよね。ヘミングウェイが。日本人がどうのって、話は別にしたくないんだけど、そういえばBook off で彼(ヘミングウェイ)の作品はよく見かけるわよね。それも108円のコーナーでよく見かけるわ。彼はBook offに行きがちな本をよく書いた作家なのかもしれないわね。私は原文で読んだことはないんだけど、『武器よさらば』って、あるわ、あれ。あれは読んだの。読み終わった後、大学の講義棟の三階から「武器よさらば」って言いながら中庭に放り投げたことはあったわね。私にとってはそれくらいの印象だわ。

 

余談が長くなってしまったけど、つまるところ、この本『「おっぱい」は好きなだけ吸うがいい』は決してエッチな本ではないわ。まぁよほど偏屈な人が読めばエッチ本としても通用するのかもしれないけど、ちょっとすけべなお爺様の、深く、長い谷を流れる、水の源泉、そしてそこに向かうまでの心の火花のお話だと思って。読んでいる間は決して、あなたを裏切らないわ。 以上。おしまい。

 

虚無虚無