くだらない

くだらないです

幸福な言葉たち

大なり小なり、いろんなサイズの自転車が、今も使われてるか、わからないやつも含め、ほとんど地面に横たわってる。前の日がすごい強風だったの。街中、洗濯物が散らばってたわ。二台くらいだけ、ちゃんと立ってる自転車があるの。Cは、自分の自転車のサドルを両手で引っ張ったんだけど、うまく両側の自転車で挟まってて、取り出せなかった。それで、自分の自転車が取り出せないことがわかると、両手を自分のお腹に当てて、その場にしゃがみこんだ。Cは、倒れてる自転車たちを入念に眺め始める。まるで、失った戦友達の、墓場にいるみたいに。
「幸福な。言葉たち」Cは左手で自分の口を覆うと、手の平に自分の吐息を優しく吹きかけながら、こう、ささやいた。すべて無声音だったわ。右手は下腹部をおさえてる。
「幸福な、言葉たち。第三章、その十二」
「まず人の話をよく聞き、今、この場面で、何が求められているか、一緒に考えてみないか。ーT先生」Cは黒のジップ付きのパァカァを着てて、眉を上げたり下げたりしながら、なにやらぶつぶつ言ってるの。目はほとんど動かさずに。それから、地面に左手をついて、立ち上がると、駐輪場の中をまっすぐ歩き始めたわ(ものすごい猫背)。Cは、今度、裏声をうまく使い、小学二年生の天才子役みたいな声で、こう語りかける。
「第二章、その六。君は、性格で損してる。ーH先生」十五歩くらい進んだところで、立ち止まり、倒れた赤い自転車を目視。スポォクが一本、外れてるの。それからCは一歩、大股に踏み込み、腰を落とす。その自転車のサドルに右手を、ハンドルに左手をかけて、力いっぱい引っ張った。隣で仲良く倒れてた自転車に、ハンドルがうまく食い込んでたんだけど、もうほんと。力いっぱい、引き離したわ。自転車の体勢が整うと、右の手の平でサドルの上を軽く払い、今度はその隣の自転車に手をかけ始めた。この自転車に手をかける時、Cはまたも、天才子役みたいな声を出したわ。
「第五章、その二十四。僕は君の人生に、あまり興味がないのかもしれないよ。ーO先生」Cは髭が乱雑に伸びてる。なにより中途半端に生えてるから、他人から見て、口元が汚い印象を与えるの。今度の自転車も、隣の自転車のスポォクの間に、ハンドルが食い込んでたんだけど。今度は食い込んでるハンドルを、左手でやさしく握り、入り込んでる場所を、右手で抑え込んでから、優しく、ひきぬいていく。ハンドルが抜けかかると、Cはハンドルを右手に持ち替え、左手でサドルを支える。自転車を起こした。ここで、突然。Cはその顔に微笑を浮かべる。目を見開いた。ハスキィボイスもとい、声がかっすかすに枯れた人、みたいな声でこう言った。
「第五章、その十一。いちいち、自分の面白さや才知をひけらかそうとしないでくれ。ーK氏」
Cはなおも一台ずつ、自転車を立て直していく。今日は、どこか、空が近いわ。空が近いんじゃなくて、雲が近いのよね。きっと。ここの駐輪場は屋根とかはないの。もしかして、本当は駐輪場じゃないのかもしれないわ。大学の敷地内だとは思うんだけど。雑草も伸びるだけ伸びてるし。もはや雑草と呼べないかもしれない。何台か本当に、今も使われてるなら、相当趣味が悪いやつか、なにか哲学をこじらせちゃった人が乗ってるようなやつばっかりだもの。お次は、とっても低い声で、話すスピィドに緩急をつけながら、鼻の穴を大きく広げて、こう言ってた。
「第四章、その五。仮に七回生まれ変わっても、あなたが車に轢かれているところを見て、私は一暼の憐れみも感じないね。ーM氏」
Cは、どうやら自転車と話してるのよ。声の高さや、緩急、抑揚を変化させたり、させなかったりしながら、語りかけてる。今度もさっきと同じ。
「第三章、その九。あなたは、具体性が、無いーE氏」ここで、Cは自転車以外のものに初めて手を触れたの。それが駐輪場と思われるところ(私も正直に言うと、自信がなくなってきたの。ここはゴミ置場かもしれない)の一角に落ちてた?いや、置いてあったんだわ。置いてあったということにするわ。誰かがちゃんと置いたのよ。カホンって楽器なんだけど。だってそうでしょ?どんなに不注意な人でも、カホンを落として気づかない人があるかしら?それとも、カホンが空から降ってきたのかもしれない。大惨事!でもこれは辛うじて原型も留めてるし、まぁ穴のところに少しヒビが入ってるんだけど。えぇと、サウンドホォルって言うのかしら。私はこの名前好きよ。サウンドホォル。昔、一寸だけえっちな感じに聞こえる言葉で、しりとりをやったんだけど、なんであの時、この言葉を思いつかなかったのかしら。ちょっとだけ、後悔してる。ちなみに確か、その時は『ひみつきち』が優勝したの。兎にも角にも、Cはこのカホンに触れたわ。ちょっと汚れててね。カホンの上の部分を右手で少し払うと、Cはそこに腰を下ろした。それでまた、小学二年生の天才子役みたいな声を出した。
「第一章、その十五。ー君はもう少し、元気を出しなさい、大事だよーA先生」
Cは黒いズボンの両ポケットに手を突っ込んで、右手でオイルライタァ、左手でボックスのタバコを取り出したわ。左手だけでうまくボックスを反転。それから右手の親指と、人差し指でオイルライタァをつまみながら、中指一本でボックスの蓋を開けた。小指と薬指の間に、タバコを挟んで、口元まで運ぶ途中で手が止まるE。そこでは、全て無声音で、口をアヒルみたいな形にしてから、こんなことを囁いた。
「第五章、その十二。自分以外の人が、よくわからないような話をしてね、人から共感されないことが、そんなに嬉しいの?ーSさん」
タバコを唇で捕まえると、左手ごとボックスのタバコを左ポケットにしまい込んだ。そのとき、なぜか右手も降ろしたんだけど。Cがサウンドホォルを覗き込むような形になってね、右手首を素早く捻る。カムがキャップの内側に当たった音と共に、ケェスが開いた。親指でフリント・ホイィルを回転させると、青い炎が上がって、あとはタバコの先っちょを、火に近づけてから、すっと、吸い込んだ。ポケットにしまい込んだ左手を出してきて、ケェスを閉じ、そのまま左手でオイルライタァを右ポケットに入れて、右手の人差し指と中指で素早くタバコを口から離すと、息を小さく吸い込んで、鼻から煙を出し切ったわ。
「幸福な、言葉たち。第三章、その十七。善処しますじゃなくて、やめろって言ってんだよーーF先生」
この時のCは、目をパチクリさせながら、無声音を出してた。例えば、タバコを吸いたい言えば吸いたいし、吸わなくてもいいといえば、吸わなくてもいい感じがするときがあると思うの。私は。こんなときは、例えばカラスが落っこちてくるとか、人が落っこちてくるみたいな現象が起こったら、思わずタバコに火をつけると思うわ。けど、実際のところ、そんなこと、まず起きないでしょ。だからタバコを吸うことは、ほぼほぼないの。でもそのほぼほぼないことが起こってしまった類い稀な事例だと私は思うのよ。鳥頭白くして馬角を生ず。だってカホンに座ってるのよ。駐輪場と思われる場所で。
「第四章、その二。幸、うすい人。ーJ氏」
Cは前傾姿勢でカホンに座ってて、右足より左足の方を、足の平ひとつ分前に出してる。左手の先を、右ポケットに入れたまま、煙を下に向け、吐ききる。Cがタバコをつまんでる右手の甲を右膝に置く際、ちょうど自分が吐き捨てた他人への自己解釈の中に、『君も、含まれている』と告げる言葉のよう、浮上する煙はCを包み込んだ。
「第五章、その七。あんたは、つまらないんじゃなくって、くだらないのーN先輩」
Cは対面する木々を眺めた。太くて硬そうな木。正確に言うと、その木々の葉っぱ達を眺めてた。Cはことあるごとに、「小人になったら、木々の陰毛を彷徨いたい」って言ってるやつだから。きっと悍ましいことを考えてるに違いないわ。無声音が続く。
「第二章、その十。君はどうしたいの?それからじゃあ、どうすべきなのか、考えるべきだよね。ーY先輩」
タバコを右手の人差し指と中指の間で挟んだまま。一枚の葉を見てるの。その葉だけみんなと違う方向に揺れててね。それから、タバコの火が消えたわ。ポケットから左手を取り出し、背中にあるフゥドを掴む。自分の頭にかぶせ、サウンドホォルの方を向き、目を閉じた。
小学二年生の天才子役と思われる声で、「第四章、その十九。遠くの海を眺めなさい。目が、よくなるからねーT氏」と、C。
目を開けて、タバコには、もう火が灯っていないことを知る。右手で軽くスナップをきかせ、サウンドホォルの中へ、放り込んだ。それから足の爪先に、力を込めて立ち上がると、Eは対面する木々の方へ、歩き始めた。ちなみにこの時Cは、長年、夢を追い続けるも、売れることのなかった、ハァドコアバンドのヴォオカルが、ラストライブ、最後の曲の前フリに繰り出す、力の限りを尽くしたような声で、こう言ったわ。
「幸福な、言葉たち。第一章、その十六。キレイな目をしてるのにね。ーーD先生」